東日本大震災視察 その1

10月20日(木) 瀧川君枝

登米市の仮設住宅の敷地内にある高齢者施設
登米市の仮設住宅の敷地内にある高齢者施設

1、特定非営利法人 みやぎ登米市災害救援ボランティアハブセンター (戸田和夫さん)
 自主防災組織の育成支援と安全安心な地域づくりを支援する団体の戸田さんから伺った。
1) H12年国土交通省が、国道45号線に設置した「津波浸水想定区域」は、正確だった。市は国の情報は出さず、市民も行政に任せきりとなっていた。
2) 新年度の対応を考えて、ある程度の資財がある場合4月の時点でアパートや賃貸で暮らしはじめた。しかし、支援が必要ないわけではなく、仮設住宅との違いがあることは課題。
3) 仕事に就いている方は、仮設住宅の使い勝手を問題にしておらず、マスコミの誘導は問題。
4) 仮設住宅は、(国の補助があるから)料金に違いはないが、メーカーによって内容に差がある。質を向上させるために、平時に市民企画で見学会などを行うとよい。
5) 自主防災組織活動では、防災行政無線を使った放射能災害の呼びかけや、大学生により避難してきた孤立するアパートの子どもの遊び場を提供する活動がおこなわれている。

2、登米市の仮設住宅南方町(登米市支所長千葉一吉さんと戸田さん)
 340世帯の仮設住宅は、平地が少ない南三陸町民が300、県外が40の割合。2年間を限度として入居。敷地内には、支援員が24時間体制をとるグループホーム(ワンユニット)と、二つの集会所がある。 国の事業で、社協が臨時職員を雇用して巡回している。次の生活までをつなぐ場所なので、子や財産の事情が違いコミュニケーションを求める事は厳しい。しかし、行政情報の伝達のツールとしての町内的会組織は災害時には必要。2次入居では条件にしたことで、連絡がスムーズになった。

3、南三陸町中瀬町の仮設住宅と防災センター (仮設住宅長佐藤徳郎さん)
 登米から戻る際、橋が壊れかけ手間取り、数秒の差で津波を逃れた佐藤さんが動向下さり話を伺う。
最後まで住民に避難を呼びかけ津波にのまれた女性職員がいた防災センターは、市役所との渡り廊下の鉄骨が180°曲がりくねっていた。衝撃のすさまじさを物語る。開発する前は田んぼだったそうで、石巻の高橋さん同様、以前の土地利用に戻すべきという。5階建ての建物で400人の町民が集まるイベントがあったことと高台に小・中学があったことは、せめてもの救い。36名の職員を失ったこともあり、議会は、住民を置き去りにして、2年前の歌津と志津川の対等合併での町長選の因縁をつけ、国の支援を得る、高台への復興計画が描けないままとなっている。「世界一ひどい議会」と嘆く。