12/5(土)にベイサイドポケットで市と横須賀開国史研究会主催による開国史シンポジウムが行われました。“NHKスペシャルドラマ「坂の上の雲」放映にあわせて、明治時代の横須賀市を語る”ということで、基調講演とパネルトークの2部構成でした。11月29日(日)からNHKで放映が始まった司馬遼太郎原作「坂の上の雲」は、横須賀市全体が原作に深く関わっているというわけではありません。今回の撮影でも度々使われている、日露戦争で活躍した戦艦三笠の復元船は横須賀市にあります。また、主人公の一人で海軍軍人の秋山真之氏が、横須賀の海軍水雷学校(米海軍横須賀基地になる前の日本の海軍施設)にいたことがあり、そういう意味でゆかりがあったのだと思います。私の勉強不足ですが、三笠の復元船があるのは、横須賀で造船されたからだと思っていました。しかし、当時1万トン級以上の戦艦を作る技術はまだ日本にはなく、欧州等で作られた他の戦艦同様、三笠は英国で作られたようです。また、修復等は佐世保港で行われていたようです(もう少し勉強したいと思います)。さて、このシンポジウムは無料のせいか、ハガキによる申し込みだったのですが、抽選があったようで当たったのはラッキーだったかもしれません。会場は満席でしたが、テーマのせいかどうか若い人は少なく、60代以上の方がほとんどでした。
私は、長い間、映像化されなかった「坂の上の雲」が、いよいよドラマとして放映されるということもあり、なぜ原作者が映像化を拒んでいたのかを知るために、遅まきながら原作を読み始めました。明治維新後を近代化というなら、日本が近代化30年程度で、文明度も資源的にも大国であるロシアになぜ勝つことができたのか、読み始めたら止まらなくなるほどの興味深さにびっくりしています。やっと4巻の終わりに近づいてきましたが、残念ながら放映が始まってしまって、途中でシンポジウムについてレポートするのもどうかとは思っています。でも、せっかくの機会を得ることができたので、報告したいと思います。
基調講演は、開国史研究会会長による横須賀製鉄所の頃の賑わいを中心にしたお話でした。大きなドッグや西欧風の建物など、西洋文明的なものを見るために多くの人が横須賀を訪れていたこと、残っていれば歴史的遺産として価値が高かったであろうレンガ造りの建物は、関東大震災で壊れてしまったことなど、その当時にタイムスリップしてみたくなるお話でした。第2部は、パネルトークでパネリストとして、NHK坂の上の雲プロジェクトチーフプロデューサー、海軍の時代考証を担当した元防衛大教授、東郷平八郎氏(連合艦隊司令長官、三笠は旗艦)の曾孫夫妻が登壇し、それぞれの方がご自分のスタンスからお話をされました。
主催者側はいろいろな場面で、横須賀市が近代化に果たした役割は大きかった、だから郷土にもっと誇りを持っていいのだということをなんとか伝えようとしていたと思います。歴史を知ることは大事だし、郷土を愛することも大切だと思います。しかし、郷土愛や誇りの感じ方は、世代によって、またその世代が肌で感じたり、触れ合うことができたりしたものによって変わらざるを得ないと思います。歴史は学んで活かしていくものであって、歴史にすがるものではないと思うのです。これから横須賀市を支えていく若い世代が、横須賀市は、こんないいところなんだ、こんなすごいものがあるんだと言えるように、ネット・横須賀としてもっとアンテナを張って、若い世代と共に横須賀のまちをつくっていかなくてはと、あらためて考えさせられました。