2009年が明けて、早くもひとつきが経とうとしています。そんな中、歴史から平和を学ぶ学習会を1月26日に開催しました。講師は、書店のお仕事をしながら、郷土史にまつわるさまざまな活動をされている横須賀市開国史研究会会長の山本詔一さんです。
横須賀は、江戸時代末期(そうです、あの篤姫さまのあたりですね)、鎖国か開国かの時期に製鉄所が造られました。それが、横須賀造船所となり、戦後(もちろん太平洋戦争ですよ)64年目の現在は、在日米軍司令部となっているわけです。
山本さんのお話は、その造船所でたいへんに栄えていた横須賀のことを記した1冊の本のことから始まりました。
その本は、明治21年4月に刊行された『横須賀繁盛記』という本です。今の値段で1万円くらいしたそうで、今本が高いとか言われるけれど、そんなことはないと(これは、ご職業柄でしょうか・・・)。本は、漢文のように書かれ、解説がないととても難しいのですが、山本さんによれば、江戸時代の方がもっとかなが多用されていたのに、明治になってやたらとそういうふうになったということで、それも興味深いところでした。
さて、今はヴェルニー公園も造られているほどの、フランスの造船博士ヴェルニーさんとともに造船所づくりに活躍したといわれている勘定奉行小栗上野介さん、実は、それは怪しく、他の人の手柄だったらしいという研究成果が出始めているそうです。本当のことがわかれば、なんで小栗上野介で騒いだの?となりますよね。
まだ列車が横須賀まで来ていなかった時代、横須賀造船所は、観光名所になっていたようです。近隣に旅館があり、1日100人くらい来て泊まっていったそうです。(今よりだいぶ交流人口があったということ・・・?)温泉がないと言われ、熱海から温泉を運んできたり、今でいう薬湯や塩湯もあったそうです。
写真の冊子の地図は、地図センター発行の『月間地図中心』に載った”横須賀港一覧図”というものでおみやげ用に売られていたものだそうです。しかし、昭和に入ると厳しくなり、発行されなくなったようです。戦争への道を歩みはじめていた当時、地図から横須賀が消えてしまったこともあったようです。
神奈川ネットワーク運動・横須賀として学習会の目的は、横須賀市と戦争との関わりを知ることでした。でも、それはやはり2時間足らずの時間では、難しいことでした。参加者からの発言でも、もっと知りたいという意欲が伝わってきました。また、企画をしていきたいと思います。山本さんのお話を聞くことによって、「歴史に無関心」イコール「今の横須賀にも無関心」ということがよくわかりました。歴史には英雄だけでなく庶民のドラマもあります。もっと楽しく歴史を学びながら、みんなで話し合っていくことが大事だと改めて思いました。《M2》