米空母母港化50周年抗議  原子力空母の配備撤回を求める10・5全国集会に参加!

 

神奈川平和運動センターが主催するもので、県内を中心に全国から700人が参加。ネット・横須賀も毎年参加しています。艦載機が訓練で使用してきた厚木基地周辺の住民による、「爆音防止期成同盟」や、高校生平和大使も参加しました。

今年は、1973年10月5日に空母ミッドウェーが入港し50年となります。入港までの様子や入港後の日米軍事一体化の変遷がわかる、非核市民宣言運動・ヨコスカの新倉裕史さんの報告を紹介します。

ミッドウェー入港の問題は、議会では全会一致で反対の決議があり、市長選の争点にもなり、反対派の長野市長が当選したものの、2項目を条件にして容認を決断した。1つ目が核兵器の持ち込みはならぬ。2つ目が原子力空母の寄港は絶対にないこと。

しかし、どれも守られていない現実がある。2008年に原子力空母ジョージワシントンに交代し、民主党政権で核密約が明らかになり、ミッドウェーに核は搭載されていたことが明らかになった。

そして、米空母戦闘団は、唯一の海外の母港である横須賀からアジア・中東に出向き、湾岸戦争、イラク・アフガン侵攻で、トマホークミサイルと、艦載機による爆撃で殺戮を繰り返した。

駆逐艦を先に配備し空母と艦載航空団を分けて配備することで、重要な変更がある場合に行うと決めた「事前協議」もないまま向こう3年の滞在期間が50年以上続き、米軍の出撃拠点となっている。

そして、さらなる問題は、日米軍事一体化がすすんでいることとし、9.11で始まった自衛隊による空母の米韓防護は、2015年の安保法制により、米韓防護、武器等防護が110回も行なわれているけれど、詳細は明らかにされず、日本の外で戦うことに引っ張り上げられた!

「少しでも小さくしていかなければならない。そして、前提条件が崩れたまま母港となっていてよいのか、再度問われなければならない!」と力説された。

その後、旧軍港市転換法(軍転法)が掲げた理念、横須賀の平和産業港湾都市への転換」は、はるか彼方に遠のいている、とする集会アピールを読み上げ、「原子力空母の母港撤回」「安保関連法廃止」「敵基地攻撃能力など自衛隊強化反対」を確認し、会場のヴェルニー公園から、基地と市内をデモ行進してアピールしました。

台湾有事を想定して、軍事強化を正当化する国民世論は広がています。しかし、ロシア・ウクライナ、パレスチナ・イスラエルの状況を見れば、武力による紛争解決はないことは明白です。

基地のまち・自衛隊のまちである横須賀がこのまま続くことを当たり前にしないために、そして、隣人である米兵士・自衛隊員の任務の重圧に思いをはせながら、市民とともに声を出していきます。